Why Lithuania ?
Lithuania Diary

Why Lithuania ?

Why Lithuania ?

リトアニア文化の紹介を始めて十五年間。日本でもリトアニアでも、一番よく聞かれる質問です。 
毎年新しく出会う方から聞かれるので、繰り返し繰り返しお話ししてきました。 
十五年目の節目に、リトアニアとの出会いから輸入業に至るまでを振り返ってみたいと思います。  

リトアニアとの出会いは遡ること、約四半世紀前。美術大学に通っていた時代になります。  

美大生だった私は、映画や演劇の衣装制作に憧れていました。なかなか仕事の糸口がない中で、教授陣の中に舞台美術家の小竹信節氏がおられ、手掛けられていた国際文化交流の舞台の衣装制作に関われることになったのです。小竹先生は寺山修司の天井桟敷の舞台美術など、セノグラフィーの奇才として名高い方です。 

美術大学生は、卒業論文の代わりに卒業制作というものがあり、大学生活の集大成に作品を作らなくてはなりません。その卒業制作を控えた四年生の夏休み。私は同級生と共に、小竹先生の制作チームとして、連日学校の作業場へ通い、衣装や小道具などを作りました。そのお芝居は、日本の舞台美術家と俳優にルーマニアの演出家という企画で、演目はシェークスピアの『冬物語』でした。小竹先生は紙で衣装の素材に使ったり、麦わら帽子でウィッグを作ったりと、そのアイディアは奇想天外。私たちは糸と針以外も駆使しながら、衣装制作に励む日々。そしてカンパニーはヨーロッパの四都市で公演することになっていました。

卒業制作のプレセンテーションは秋頃で、指導教授に何を作るつもりかを報告します。しかしながら、私たちのカンパニーの巡業は秋。プレセンテーションを欠席することをゼミの教授・小池一子先生に許可をいただき、私たちは劇団と共にヨーロッパに旅立ちました。巡業先は、ロシアのサンクトペテルブルク、ルーマニアのブカペストとクライオバ、最後がフランスはパリという、旅行会社も面食らうルート。カンパニーが移動するバスに便乗させてもらい、ドミトリーなどの安宿に泊まっての旅です。  

小竹組のカンパニーは、ルーマニアのクライオバという小さな町でシェークスピア演劇祭*に参加することになっていました。クライオバは町の中心に大劇場があって、町中にもいくつも劇場があり、演劇祭中は各地で上演のプログラムが組まれています。ある日、俳優陣に演劇祭に参加している『リチャード三世』の公演に連れて行ってもらえることに。それが期せずしてリトアニア文化に出会う機会となりました。  

その晩に上演された『リチャード三世』では、醜い身体にコンプレックスを持つリチャードを、靴のヒールの高さを左右で変えたり、衣装をいびつに着せることで表現しており、視覚的に登場人物の心理を表していました。外国語の台詞などわからない中でも物語の展開が伝わってきます。私たちのカンパニーの女優さんに幕間に語ってもらったあらすじを頼りに、理解を深めながらの観劇。言葉を超えた衣装の持つ力を感じずにはいられない、演劇体験となったのです。興奮のあまり、チケットのクレジットをはじめてきちんと読み、「リトアニア」という国のドラマ劇場のカンパニーであると知りました。

思いがけずに出会った国、リトアニア。その印象が深く胸に刻まれた夜でした。

スクラップブックに「リトアニア」と記したものの、しばらくの間は記憶の底で留まったまま。
再びリトアニアを思い起こして動き出すのは、その七年後のことになります。



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